(所要時間 約3時間)
※ケガ防止の為、しっかり歩ける履物でお越しください。
天童駅
ここからスタートとなります。
徒歩10分
喜太郎稲荷神社
天童氏の家臣だった狐埼喜太郎、主の使いで京都に出向いた。その折伏見大社に参拝し、御位を受け神がかりして帰参したとのことです。この後、天童氏の守り神として、陰ながら天童氏を支え続けたと伝えられております。神となった喜太郎の活躍が格別の面白さがあります。
徒歩2分
天童護国神社
元の名を素道軒嗣と言いました。戊辰戦争のとき、朝廷の命により藩主の代理として、奥羽鎮撫先導使の大役を果たした織田家家老吉田大八の死を悼み造営されたものです。その後戊辰の戦いで戦死した十四柱、日清、日露、大東亜戦争で戦死した方々も合祀し、名も天童護国神社と改められました。
徒歩3分
つつじ公園
5月の開花時期はそれはそれは見事なものです。この一角には芭蕉の句碑を始め、吉田大八守隆略歴碑、はなかみ先生の碑、安藤(歌川)広重の碑があり、天童とのつながりを聞けば益々天童に興味がわいてくるスポットです。
徒歩2分
建勲神社
明治3年に建立された日本で最初に織田信長公をご祭神とする神社です。「あなたは信長公に何をお願いしますか。」元日参りや毎年5月3日に行われる例大祭には、県内外から参拝に訪れる大勢の善男善女でにぎわいをみせます。
徒歩6分
文学の森
ここには天童にゆかりのある文人たちの石碑があります。意外な文人が意外な理由で天童と繋がっているのがわかるスポットです。このスポットのおまけは、山形県の名峰、朝日連峰、月山、葉山の眺望が訪れた方の記憶に残る素晴らしさです。
徒歩6分
吉田大八像
戊辰戦争で朝廷軍に尽くしながらも、戦いを避ける努力をした吉田大八は、奥羽越列藩同盟に対する織田家の責任を一身に背負い37才の若さで自刃して果てました。今は舞鶴山から天童の発展する姿を静かに見つめております。
徒歩3分
人間将棋会場
桜祭りの最大のイベントが人間将棋。一流の棋士どうしの熱戦はなかなかの見もの。同時進行の解説者のコメントが大変面白い。観覧席上段に大山康晴名人揮毫による将棋供養塔、王将がある。
徒歩3分
展望台
天童市を一望できます。眼下に天童温泉、その先東には奥羽山脈の山並み、西に月山、葉山、運が良ければ北のはるか遠くに鳥海山が見えるかもしれません。
徒歩6分
千夜子顕彰碑
日本で最初の流行歌手である佐藤千夜子は天童市出身です。国内初のレコード歌手も千夜子でした。昭和3年ビクターから発売されたのが「波浮の港」でした。翌年映画の主題歌で第一号となったのも千夜子が歌う「東京行進曲」でした。
徒歩15分
天童駅
ここがコースの終点となります。
まずはお電話でご相談ください
天童駒ガイド(わらべこまガイド)
TEL:023-653-1680(天童市観光情報センター内)
※ガイド希望日の一週間前までにご連絡ください。
※お申し込みの手順・方法につきましてはコチラをご覧ください。